協会報(~239号)

一寸の光陰 軽んずべからず

2012年3月15日 15時32分 [管理者]

一寸の光陰 軽んずべからず


神奈川県ライトセンター 姉崎久志


 昭和46年(1971年)初冬、私は北海道小樽市で、朗読ボランティア養成講習会を受講していた。視覚障害者への録音テープ製作活動に参加するために。それが結果として現在の仕事の序章になろうとは夢にも思わず。
 小樽ではわずか1年数ヶ月ボランティア活動に参加しただけで、仕事の関係で横浜に来ることとなった。私の横浜行きを知った複数の新聞社から取材を受け、掲載された記事に驚いた。写真入りのその記事には「盲人の心に光を残して 姉崎さん横浜へ」という見出しが付けられていた。私のささやかな活動が記事になるとは。ボランティア活動がごく自然な行動として世の中から受け止められるには、まだまだ時間がかかると実感した。そしてまた、視覚障害者が特別視されることなく社会に受け入れられる日までの道のりが長いことも。
  さて、横浜での私は、会社勤務の傍ら、中区 根岸町にあった神奈川県点字図書館で録音ボランティア活動をしている時に、旭区二俣川にオープンする神奈川県ライトセンターの職員にならないかと誘われた。時は、第一次オイルショックと呼 ばれていた昭和48年秋であった。
 昭和49年春から視覚障害者専門図書館職員となった私が、当初担当した仕事は、録音資料(図書・雑誌)の製作であった。読みたい本を、読み たい時にすぐ読めない環境にある視覚障害者に向けての「早く(即応性) 正しく(正確) 良い音で(高音質)」をモットーとした録音テープ作りは、充実した日々であった。
  製作部門の次に担当したのは、奉仕部門での、利用者の窓口業務であった。ライトセンターは図書館としての形は整えているが、公共・大学等の図書館と決定的に違う点がある。先ず、貸し出すべき図書がほとんど市販されていないことから、点訳・録音ボランティアの協力を得て図書を作ること。次に、カウンター業務でありながら、実際にカウンターを訪れる人が非常に少なく、そのほとんどが電話による対応であることである。
 電話での対応は、大いに緊張する場面でもある。短時間に確実に、加えて次回も気持ちよく利用していただくために、誠意を持った対応が求められる。現在のように電算化される以前の貸し出しの現場では、その図書が貸出中か否かを判断する記憶力と手作業検索の手際の良さが、電話口で利用者を待たせないコツであった。
  窓口業務で特に私が配慮した点は、貸してあげるではなく、利用していただくという姿勢で接することであった。図書貸出が仕事であるならば、借りていただくのは喜びであり、それが活字の読書の道を閉ざされた視覚障害者への情報提供の一助になると思うと、やり甲斐のある仕事であった。
  全国には点字図書館、盲人情報文化センター、視覚障害者情報センター、そしてライトセンターなど約90の視覚障害者専門図書館がある。図書 館といっても福祉の分野に分類され、権利とし ての読書ではなく、受け身的読書が多いと感じている。蔵書製作リクエストを寄せる人は、ある程度限られた顔ぶれであるが、点訳・録音図書が完成すると、多くの人から貸出希望が寄せられ、ほとんどの図書が短時間で予約状態となる。それならば何故、自らが蔵書製作リクエストをしないのか?答は簡単である。図書は読みたい時にすぐ読めるのが理想ではあるが、視覚障害者の読書はそうはいかない。読みたいと思った時点で、製作リクエストを出したとしても、完成は数ヶ月から1年後である。果たして、「きっと1年ほど先にこの本が読みたくなると思う」という気持ちでリクエストするであろうか。
 職場では、これまで複数の部署を経験したが、この春から3度目の窓口業務に関わる機会を与えられた。今や全国の関連施設とのオンラインリクエストによる相互貸借や、電算システムによるスピーディーな図書検索など、以前とは様変わりした環境であるが、読者への対応が機械的であってはならないという気持を強くしている昨今である。
 話題は変わるが、私の神図協との積極的関わりは、平成元年度から4年間続けた研修委員の活動であり、公共・大学・専門と館種を越えた委員間のつながりは、私の視野を広げてくれた。
  実は、私を育ててくれた神図協から、4月28日の総会席上で永年勤続職員(30年)として表彰された。このことを、職員人生のカウントダウンの始まりと受け止め、ラストスパートに向けて準備をしよう。無事に仕事を卒業できたなら、その先に待っている録音ボランティア活動を目指して。
                   (平成16年度永年勤続職員表彰受賞者 30年以上)

研修計画・・・(3)
2012-03-15 [管理者]
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