協会報(~239号)

神図協小史点描(25)

2012年3月19日 10時41分 [管理者]
● 神図協小史点描(25)  

武田会長から堀池会長へ


武田会長は後進への期待を込めた提言ないしはメッセージともいえる一文を残して退任していった。これは神図協会報117号(昭和56年4月)に掲載されたもので、概要は前号で紹介したとおりである。

新しく会長に就任したのは、県立図書館長となった堀池会長である。就任の言葉が同号に掲載されている。彼は「近年、公共図書館の増設がすすみ、会員も毎年増えており、本協会の使命もますます重要なものとなってきております。私はもとより微力ではありますが、会員の皆様のご協力により、本県の図書館活動の発展のため努力」したいと述べた。武田氏の実績を確実に継承しようとの意志が読みとれるものであった。

時あたかも、県下の公共図書館の急激な発展途上の時期であり、会則の検討がされていた終盤でもあったので、堀池会長就任直後に神奈川県図書館協会「会則」の全面的な改正が行われた。

前述したように、新体制による5つの常置委員会(企画、広報、書誌、郷土資料編集、研修)と2つの特別委員会(児童奉仕研究、公共図書館地域計画)が設置され活動が継続されていく。

各委員長は、県内各図書館長のベテランを配置した。それぞれの実力の集積が期待された。

例えば、新体制となった研修委員会では、委員長関根藤沢市中央図書館長のもとで、協会報119号(昭和56年10月)に一文を寄せ“参加しよう”と記し、「今年度より協会の中に『研修委員会』という委員会がスタートしました。これは『基本問題検討委員会』の答申にしたがい設置されたもので、従来の『館員研究会運営委員会』、『婦人図書館員研究委員会』、『大学図書館研究運営委員会』が合同したものです。(中略)研修について『図書館員の倫理綱領』は『図書館員は個人的、集団的に不断の研修につとめる』とあります。それぞれの館でも、集団的な研修が『制度』としておこなわれていると思いますが、協会の研修事業も、有力な『集団研修』として位置づけ」て、多数参加をしてほしい。研修内容について「図書館の資源の有効活用とは何か」「図書館員の仕事と役割」など毎月何をするか掲げている。

このように、協会の新しい研修に対して、非常な情熱をもって、加盟図書館職員に対して参加を呼びかけていたことがうかがえる。

一方では、図書館における相互協力の問題が、年来のテーマでありながら、しかも常に新しい問題を提起し続けられてきている。

とりわけ、社会文化が複雑化、多様化して情報化社会といわれているなかで、利用者から寄せられる多種で多岐にわたる質問に応じていくために、単独の図書館では、明らかに限界があるのは、自明の理である。しかしながら、図書館は館員それぞれ図書館間の協力の重要性を願っており、また必要性が説かれながらも、組織的機能としての相互協力に至っていないのが現状であった。


協力車発進と先行的協力組織の発生

 当時、紆余曲折の末に、県立図書館は、市町村立図書館に「協力車」巡回を、いわば組織的に行っていた。それは、湘南六市の雑誌の保存協定、また神奈川県図書館協会がありながら、特定地区だけで独自の「連絡協議会」を設立するのはどういうことなのかとの問題になったこともあった県央地区図書館連絡協議会が「県央8市図書館間の相互貸借要項」さらに、大学間では昭和55年に横浜5大学が相互利用制度を発足させ、「神奈川県内大学図書館相互協力準備委員会」をもつに至っていた。こうした動きは、県立図書館や県協会が充分に機能していないからではないかといった批判も出現した。

 従来、相互協力は組織的な協力関係にまで発展していなかった。それはもっぱら図書館員の個人的努力によって補われていた。だが当時は機関としての図書館が組織的に協力進展していく時期だったのである。またそれは県内相互貸出冊数の増加へとつながるものであった。

ここで、その増加ぶりを数量的に見てみよう。

県立図書館では、昭和52年の10月より試行的に管理課付けのライトバン車を使用して、「協力車」を巡回させた。それは、県内の図書館から要求がある資料をとどけるだけではなく、図書館の運営やレファレンスに応えるために、県立図書館のレファレンス専門職員が同乗して巡回を行った。

 昭和52年度は358冊であった。これが53年度は1,704冊、54年度2,588冊、55年度4,224冊、56年度4,314冊、57年度5,060冊、58年度5,736冊(『神奈川県立図書館・音楽堂40年の歩み』29頁より)と増加の一途をたどったのであった。

協力貸出の推移

年度

処理冊数

昭和52(1977)

 358

53(1978)

1,704

54(1979)

2,588

  55(1980)

4,224

  56(1981)

4,314

  57(1982)

5,060

  58(1983)

5,736


 このような数字が達成されていった背景には、さきにも記したように、図書館の組織的な協力へと進展していた状況があったからといえるのではないであろうか。

 図書館の組織的な協力へと急速に進む状況のひとつに、県立図書館が30年以上にわたり実施してきた「自動車文庫事業」が、昭和58年度をもって全廃していくという事情もあったのではないかと思われる。

  県立図書館の組織の改変と協力課の設置

 県立図書館の館外奉仕事業の全廃に伴う組織の抜本的変更改変が目前の問題としてせまっていた。

 この組織体制は、県内図書館のセンターとしての機能を果たしていくという方向転換が示されていたが、どのようにその方向転換をはかるかについては、必ずしも明確ではなかった。

 さまざまな憶測が流れながらも、小坂館長のもと、部課長からなる業務検討委員会が始動し、また職員レベルによる提案なども盛んに行われていた。

 これらの検討や提案がなされているなかで、やはり県内図書館のセンターとしての機能ということからすると市町村図書館に対する専門的な「課」の設置が強く求められるという方向性を目指すことになり、協力課あるいは企画協力課などの設置が検討された。

 このことは、一方では相互協力が長年にわたり重要だといわれながらも、図書館としての組織的な協力体制になっていない現状を、少しでも進展させたいという現場の図書館員の長年の願いも強く影響していた。県内図書館の相互協力に対するさまざまな動きは、各図書館の県立図書館に対する期待とあいまって、当然の動きであったと私は考えるのである。

 さまざまな議論をへて、昭和59年4月に県立図書館は組織を変更し、市町村図書館との協力体制強化ということから「協力課」が設置された。

 協力課の設置に伴って、運行の車両は2台となり、協力車の市町村立図書館への毎週巡回が可能になった。「自動車文庫事業」でつちかわれた、さまざまな住民とのつながりを基礎としながら、市町村立図書館と県立図書館とを結ぶパイプはさらに太くなっていったのである。また、人員も協力担当専任司書の5名体制となったのである。

 そして、館内奉仕部(図書課、閲覧課)、館外奉仕部(整理課、普及課)という組織は廃止され、調査部(協力課、調査閲覧課)、資料部(図書課、逐次刊行物課)となった。こうして協力課の設置による市町村図書館へのバックアップ体制の強化が実行に移されていったのである。

 しかしながら「自動車文庫事業」の全面的な廃止は、住民から「利用者である県民の地域での文化生活にどんな影響をもたらすかについての現実的な検討が欠落している」(柳下勇:南足柄子どものしあわせを考える会機関紙ひまわり10号)との批判も出されたが、けだし、これは当然のことであった。

 県立図書館の新組織発足後は、協力課の業務として、従来行ってきた図書の一括貸出の援助のほか、未設置自治体や公民館図書室等への協力車の巡回とともに、図書館設置への援助、協力業務の展開をしていくこととなる。

  「こあ」と「協会報」

 これまで逐次的に編刊されていた「協力車だより」手書き原稿から情報誌「こあ」として新たな情報誌へとステップアップした。連携のための機関誌のスタートは昭和59年4月のことである。

 この「こあ」創刊号に、小坂県立図書館長は「協力業務の大動脈である資料の相互貸出、情報の提供、業務の相談など一層活性化するに違いない」と述べている。

この「こあ」と「神図協会報」との関係が充分に理解されていない嫌いがあった。

 それは、県内図書館の加盟館として、その図書館間の情報や動きなどを提供する「会報」と屋上屋を架すことになるのではないか。どうなっていくのかという危惧をもっていなかったふしが、垣間みられないでもなかった。一部の県内図書館から批判の声があったものの長年にわたって実現が待望された図書館の連携、協力が不完全ながらも緒についていく。因みに協会報の刊期は季刊であり、協会の組織には公共図書館だけでなく、大学その他の読書施設を網羅した組織である。ともあれ県内公共図書館の情報誌として「こあ」は図書館のさらなる発展を考えて編集していくこととなっていったのである。

 「こあ」の発行は県立図書館と協会の本質的機能分担の問題を提起したことになるのだが、研修の側面も同様のことが指摘されるに至った。

 県立図書館とは市町村図書館職員に基礎研修と専門研修を行うことであり、県協会とは「研修委員会」のもとにさまざまな研修を行うことにあっ

た。「研修委員会」と連携をはかりながら県立図書館が行うべき研修を決定していく必要があったのに、一方的に、市町村図書館へ研修内容が伝えられたことに対し、これではやはり屋上屋を架すことになるのではないかと批判が出されるようになったのである。

 さまざまな議論のはてに、「協会」が行う研修は理論的な総合的な研修内容を持つものであり、一方、県立図書館の研修は、県立図書館職員が中心となりながら、図書館実務に関わる研修をしていくことによって、相互補完的な研修になるようにしていこうということに落ちついた。

 いずれにしても、県立図書館の30数年にわたる「自動車文庫事業」の廃止は、県立図書館の業務内容を大きく塗りかえることになったことは言をまたない。「協会」の会長職にあたる県立図書館長の協会運営の有りようを強く意識させながら、このことを通じ「誰が何をするか」「どこが何を分担するのか」が問われてもいたのではなかったか。こうした幾多の問題は、つぎのステップにとって必須の事項であったかもしれない。

<会友(元神奈川県立図書館) 池田 政弘>
(更新:2012年3月19日 10時41分)